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『共犯新聞』4代目ゲストブック♪
神谷宗幣の架空インタビューを読みたい - 中野真吾
2025/08/05 (Tue) 19:05:28
久しぶりに書き込みさせていただきます。
7月22日に渋谷陽一が死んだことを知り、それなりの感慨もあり大兄にメールを送ったり橘川幸夫のツイッターに胸をざわざわさせたりしながら、24日早朝から3泊4日の山登りに出かけました。山中ではネットを見ることもなく、帰りの電車でツイッターを見ましたが、橘川幸夫以外には書いている人は誰もおらず、サクバクとした気持ちになりました。
まあぼく自身も渋谷はもう難しいんだろうと思っていたし、実はもう死んでいるのに故人の遺志ということで発表せずにいるのでは…とさえ妄想していました。しかしそれにしてもみんな冷たいじゃないか、恩知らずばっかりだなとか自分のことは棚に上げてフンガイしておりました。
渋谷は「自らを否定し乗り越えて進化して行くものこそがロックだ」と言い続け、それを譲らないからこそ渋谷陽一なんだとは思いますが、その分ロック評論家~ロック紹介者としての渋谷陽一のリアリティは、ぼくにとっては薄くなっていました。ただあの声とあの語り口調はひたすら懐かしいです。渋谷には、あえて語ろうとはしないけれど本当は好きだった膨大な数のミュージシャンがいたはずで、あの声と口調でそれを語っていてくれたら、ぼくにとっての渋谷はもっともっと強烈な存在であり続けたのではとか思っています。
ところで、山から帰って来た夜、眠い目をこすりながら新聞を読んでいたら『参政党「躍進」の背景』という特集があり(しかし「躍進」のカッコ、嫌味ですね)、岡田憲治の「葛藤不在 心地よい押し活」という文章が印象に残りました。ぼくは「押し」とか「押し活」という言葉が大嫌いで、「なんでファンと言わないんだ、『押し』だなんてこっちに主体性があるみたいじゃないか」とか思っていたものですが、なるほど参政党支持が「押し活」であるというのはぴったりですね。ファンはめったなことで応援先を変えませんが(野球ファンを見ているとよくわかる)、押し活をしている人は割と簡単に変えることができるような気がします。今回参政党に投票した人のかなりの部分が、今までれいわに投票していたという話も聞きますし。
ちなみ以前知人が「なんで政治の話をすると喧嘩になってしまうんだろう」とぼやいていて、ぼくは「結局政党を支持することがファン意識で成り立ってるからじゃないかな」と思ったりしました。自分について言えば性格形成期のぼくは社会党ファンで自民党は打倒すべき敵、共産党は気に入らん奴らでした。いまは立憲民主にも国民民主にも社会民主にも腹が立つばかりですが、だからといって自民にも共産にも投票しようという気持ちには「ほぼ絶対に」なれません。ちなみに野球は横浜ファン、巨人は打倒すべき敵、阪神は気に入らん奴らです。
岡田憲治の文章に戻ると、それ以外に特に面白い部分はないなと思って読んでいたんですが、以下の数行にぐっと来ました。
『このイノセントな推しの主体には、紛れもなく「名付けられていない弱者」とも言うべき存在が含まれています。財務省前で減税を叫ぶ人と同じく「自分たちは政治から大切に扱われていない」という疎外感を抱えている。』
こういうのに弱いんですよ。「相手がハラスメントだと思えばその行為はハラスメントだ」という定義はむちゃくちゃだと思いますが、「ある人が疎外を感じるならその人は疎外されている」というのは正しいでしょう。
渋谷陽一が元気で参政党の躍進を知ったら、何と言ったでしょうね。
2025/08/06 (Wed) 17:27:08
神谷宗幣「こんばんわ、
神谷宗幣です。」
渋谷陽一「ちょっと、それ、私のパクリじゃね?」
神谷「いーんです。パクリの増殖こそが政治ですから。我が党は、安倍晋三の軽い政治を
大阪維新の会の安易な手法でパクったおかげで、この度の参議院選挙で党勢を増殖させていただきました。」
渋谷「だいたいね、君、選挙で『政治はロックだ!』って叫んでいたって言うんじゃないの?」
神谷「大手メディアも、『参政党の選挙集会はロック・フェスみたいだ』と報道していましたよ。弱小メディアの貴社も、是非、それをパクっていただきたい。」
渋谷「何言ってんだ。ロック・フェスは私の飯のタネであって、
ロックも
フェスも知らない似非ジャーナリストに気軽に使ってもらいたくない。」
神谷「でも渋谷さんはその論理を若い時は、『文化現象というかムードとしてのロック風なものを、わけのわからない若者文化評論家という年寄りが書いたにすぎない。』と中村とうようなどの先輩に毒を吐いていましたけれど、今や渋谷さんこそが『若者文化評論家という年寄り』いや、もはや
『死体』でしょ(笑)。」
渋谷「君ね、死体こそが究極の第三者なんだよ。そーゆー君は、ロックは何を聴いてきたんだい?」
神谷「バカにしないでください。私は、チェッカーズ第一世代ですよ、えへん。クラスで一番最初にチェッカーズ・ヘアーにしたのは私なのですから!それから、伝説のロック・バンド、BOØWYとか、Xジャパンに感動しました。あと、ちょっとマニアックですが、大事MANブラザーズバンドに私は生きる力をいただきました。このように私には、ロック魂が根付いているのです。」
渋谷「聞かなきゃ良かった。」
神谷「え?何か言いましたか?」
渋谷「ところであなた、『ロッキング・オン』って知ってますか?」
神谷「もちろんです。あれ、マヨネーズに唐辛子を入れて喰うと美味しいですよね。」
渋谷「頭が痛くなってきた。」
神谷「いずれにせよ、長年、低迷してきた日本の投票率を上げたのは我が参政党ですから、ロックの目指す参加型の政治、つまり参政党なのです。まぁ、昭和の
投稿型のエセ同人誌みたいなもんですよ(笑)。」
渋谷「・・・ああ、分かりました、はいはい。私、これからジョン・ボーナムのライブを聴きに天国への階段を昇りますので、あとはご自由にどうぞ。」
神谷「では、この場をお借りいたしまして、トランプ大統領、万歳三唱をご一緒に!」
渋谷「私が死んでからにしてください。がくっ。」
憑依?転生?パスティーシュ? - 中野真吾
2025/08/07 (Thu) 23:37:52
架空インタビューありがとうございます!
はじめは笑いながら読んでたわけですが、まるっきり渋谷陽一じゃないですか!語調といい用語といい、相手をまるっきりのアホに仕立てて貶めるやり口といい… わたしゃ泣けてきましたよ。「気軽に使ってもらいたくない」は、ぼくが会うことができなかったというか、知ったときには故人になっていた三宅【土人】伸也氏に捧げられた弔文中の一節の変奏ですね。
もう何も心配することはない。神谷が憲法改正して大統領になろうと、ロッキング・オンが統一教会に買収されて文鮮明の肖像が表紙を飾る日が来ようと、大兄がアンダーグラウンドで笑いものにしてくれる。これほど心強いことはありません。
架空インタビュー、「二代目シブヤソウルブラザーズ」とか偽名を使ってロッキング・オンに投稿しませんか!
2025/08/08 (Fri) 12:03:36
渋谷「俺、最近、死んだんだけどさ。」
中野「何だよ、いきなり。」
渋谷「おかげで腰痛とか、抜け毛が治ったよ。」
中野「・・・・・・。だからって、俺を誘うなよ。」
渋谷「お前を誘うのは、山男ぐらいだろ。」
中野「俺は、娘さんかっ。」
渋谷「しかし、天国はお前の好きな山よりも高いんだぞ。」
中野「お前が住んでいるのは、地獄じゃねーのか?」
渋谷「バカ言え。山の手のいーとこの坊ちゃんは、天国に行くに決まってるだろ。」
中野「坊ちゃんって歳かよ。」
渋谷「死んだら年齢はリセットすんだよ。」
中野「ふーん。そしたら、お前とジョン・レノンとジム・モリソンは同じ歳ってことか?」
渋谷「まぁな。時々、犬の散歩の途中でジョンに会うよ。」
中野「ジョンって名前の犬じゃねーのか?」
渋谷「・・・・・・。動物ネタで言えば、今朝はエリック・バードンに会ったぞ。どうだ?いいだろ。」
中野「お前、ほんとにロック評論家か?エリック・バードンはまだ生きてるぞ。どーせ、お前の評論は天国でも地獄でも評判が悪いから、ジミ・ヘンもジャニス・ジョプリンも近寄っては来ないだろーな。せいぜい、ソウル・イート時代を思い出して、松村雄策とシンナーでも吸ってろ。」
渋谷「しまった!松村雄策も、こっちに来てるんだ!忘れてたー。」
渋久架空対談 - 中野真吾
2025/08/08 (Fri) 16:08:47
渋谷「こんばんは、渋谷陽一です」
久保「うわびっくりした。なんだよ丑三つ時に」
渋谷「おれ登場はいつも夜だったと思うけど。それにお前いつもこの時間にHPいじってるだろ」
久保「だいたい顔が怖いんだよ。亡者のメイクなんてしやがって」
渋谷「失礼な。地顔だよ。死ぬかなり前からこの顔だぜ」
久保「そういやずっと前だもんな、お前をトークライブで見たの。あの時はかっこ良かったのにな。今じゃノーメイク亡者だな」
渋谷「これだって高齢リスナーに受けてるんだよ霊的だって。俺は現世でも来世でもリスナーに支持されてるぜ」
久保「それってリスナーの半分は鬼籍に入っているってことじゃねーか。そういえばあれ本当か、渋谷陽一の番組を聞いた奴は必ず死ぬっての」
渋谷「中島らものギャグ言ってんじゃねーの。半分くらいはまだ生きてるから立証はされてねえんだよ。それよりけさ共犯新聞を読んだんだけど何だよ『渋谷陽一の方法論が迷走したのであれば、それは彼が失敗したのではなくて、ロックが「売れ線」では無くなったからだ』って。ロックも俺も迷走なんかしてないぞ。ロックは時代の最先端の飢餓感を反映して変容していくことをやめなかったし、俺はそれを支持し続けた。パンクもヒップホップもロックを否定した。それはロック以外に否定に値するものが存在しなかったということの証しなんだよ」
久保「それを言うならロックでなくたっていい。家族と夕食を食べ終えた少年&少女が自分の部屋で聞くのはフォークでもよかったしアイドルポップでもよかった。世界的に売れなかっただけで、日本ではロックより圧倒的に売れたんだ。ロックが世界を吹き抜けたのにはそれなりの理由があったはずなんだよ」
渋谷「そういえばお前、初めて買ったロックのレコードがベイ・シティ・ローラーズなんだって?」
久保「うるせえな人の黒歴史を。中野って奴なんか無い金絞ってロキシーの『カントリー・ライフ』を買ったけど、お目当てはジャケットの透けパン女なんだ。人が何かを買う理由なんていろいろなんだよ」
渋谷「あのジャケットには二人の女が映ってるけど、どっちかは男だってうわさがあったな」
久保「求める理由もそれぞれだけど、求められるものがそれに対応してるとは限らないってことか」
渋谷「まあお前も早くこっちへ来いよ。岩谷さんも呼んで議論しようぜ」
久保「だから生きてるやつと死んでるやつの区別くらいしっかりしとけっての!」
2025/08/13 (Wed) 06:35:33
相対化された世界は、それが相対化されたこと自体に関しても含め、相対化した他者を対象化することは永遠に不可能だ。なぜならば、この不可能性自体が他者とは何かの定義として成立するからだ。
中野真吾が「ぼくに果たして苦しむことができているか」と自問するとき、すでに世界は残虐さを解体し得たのであり、私達が共有できるすべてを広義の言葉と呼ぶのならば、自問の対象は他者以外のすべてである。そして自問と他者の間にあるのが言葉であるのならば、他者とは外的世界に投影された偉大なるひとつの自問にしかすぎない。
私達がロックを必要とする理由は、透けパンに投影される影にしかすぎない自問を「私達」自身に復権する言葉こそが普遍的で透けパンのように透明な自由そのものだからだ。デヴィッド・ボウイがライブの途中で「what's me now?」と思わず叫んでしまうのは、自問を言葉として成立させるための格闘(=叫び)であり、こじ開けようとする悪戦苦闘そのものも同時に言葉である。これらの複合体が、ロックなのだ。
ロックが可能な世界においては、もはや相対と絶対の二元論は成立しない。それは、ベイ・シティ・ローラーズとロキシー・ミュージックの二元論が成立しないのと同罪だ。
日本では1977年に流通の事情によりセックス・ピストルズのレコードがリアル・タイムで流通されなかったが、同時期のベイ・シティ・ローラーズのタータン・チェックのスコットランド衣装がセックス・ピストルズのファッションのベースになっているのはもっと歴史的に検証されるべきだ。つまり、あの時、ジョニー・ロットンが「ロックは死んだ。」と言ったのは日本の洋楽ジャーナリズムの誤訳であり、正しくは彼は「セックス・ピストルズはベイ・シティ・ローラーズの衣装をやぶいて着ただけで、ビジネスに成功した。」と言ったのだ。
このように日本の洋楽ジャーナリズムの歴史は、誤訳≒誤読=誤解の歴史だ。つまり、日本の洋楽ジャーナリズムはまだ言葉を獲得していないのだ。
ロックとは言葉である。
岩谷元宏の架空インタビュー - 中野真吾
2025/08/14 (Thu) 14:32:51
RO:今回は気鋭のロック評論家、岩谷元宏さんに来ていただきました。
岩谷元宏(以下岩元):はじめに明確にしておきたい。私は「ロック」「評論」もしていないし「ロック評論」「家」でもない。私は文章を書くことでロックそのものになろうとしているだけの存在だ。ロックになりえていないじゃないかという批判なら受けるが、ロックのとらえ方がその程度なら、あなたもまた旧人類だ。
RO:いきなり斬らないでくださいよ、短気だな。これでも岩元さんのロック論集を読んできたんだから。
岩元:あなたが理解できるように書いてはいないつもりだが。
RO:確かに難解でした。よくわからなかったですよ正直言って。.なぜあんなに難しく書くんですか。「コミュニケイティブ」じゃないですよ。
岩元:難しく思えるなら、それはあなたの責任でもないし私の責任でもない。ロック以前と以後とでは言語の存在形態と役割が変わってしまっていて、旧人類と新人類では言語によるコミュニケーションは本質的に不可能なんだ。私にとってはあったりまえなことを書いているだけなのに、あなたには伝えようがないんだ。
RO:また斬り捨てられた。でもあそこだけは良かったですよ「他者とは外的世界に投影された偉大なるひとつの自問にしかすぎない」ってとこ。確かに岩元さんは自分の問題意識を共有できない者を置き去りにして進んで行く。ぼくも実はその姿にあこがれて後を追おうとしたんですけどね。
岩元:「私のことを見るな、私が見ているものを見ろ」とデビッド・ボウイは言った。私の見ているものが見えないあなたが、私の後を追っても仕方がないと思うよ。
RO:そんなことないです共振してますよ。「透けパンに投影される影にしかすぎない自問」というところを読んで「影」が「翳り」に見えて、ムラムラして困りました久しぶりに。
岩元:…
RO:影といえば岩谷元宏さんって、岩谷宏さんと久保元宏さんの影の合成だという人がいるんですが、本当っすか。
岩元:光源の位置によって影の形も位置も、限りなく変化する。影も実体も、見る者に対してはほんの一部しかその姿をあらわさない。そう考えれば、その説もある一定の範囲では当たっているな。
RO:あと「日本の洋楽ジャーナリズムの歴史は、誤訳≒誤読=誤解の歴史だ」というところを読んで、亡くなった編集長を思い出して泣けてきました。
岩元:「泣くのに理由はいらない」ってやつか。架空インタビューとか意訳とかやってた割には馬鹿正直だったな。「泣くのに理由はいらないってのがクラプトンにぴったりだと思ったから、わかっててやったんだ」とか言えば良かったのに。
RO:それじゃ伊東の市長ですよ。
岩元:いいんだよ。自分が受け取ったものがすべて、というか受け取ってしまったものからは逃れられないんだ。
RO:出会いは絶対ってことですか。あの市長も「友人が作ってくれた卒業証書は、私をイノセントな世界からいやおうなしに卒業させた」とでも言えば良かったんですかね。
岩元:信じていないことってのは、言えないんだよ。
2025/08/18 (Mon) 19:28:56
■21世紀の最大の宗教は「ともだち」である。金や権力に屈しなかった人でも、この「ともだち」という名の宗教には、完全に、徹底的にうちのめされるだろう。西洋人的な個人主義の末路である。
■あの編集長の架空インタビューも、あの市長の架空卒業証書も、「ともだち」を手に入れるためのポンプであった。1970年代のメディア革命とは、与えられたポンプから、自分で作るポンプへの飛翔だった。僕がロッキング・オンを10年でやめた理由は、概念としてのポンプの更新に対する渋谷陽一との意見の相違からだった。
■『共犯新聞』での渋谷陽一の追悼記事で、久保元宏が「売れ線」の象徴としてロックを引用していたが、むしろ僕は「売れ線」をむき出しにすれば良いと考えて、手段としてのロックへの興味が薄れてしまった結果が、投稿雑誌『ポンプ』だった。
■もちろん『ポンプ』は長続きせず、ロッキング・オンは今も健在なのだから、抽象的な「売れ線」よりも具体的な「ロック」を「ともだち」とした渋谷陽一の勝利だった。「ともだち」に「人懐っこさ」が効果的なのはもうすでに久保元宏の論考を待たなくても明らかだ。
■その意味で、『共犯新聞』がレッド・ツェッペリンの「天国への階段」の有名なフレーズ「There's a lady who's sure all that glitters is gold !」を、「渋谷陽一の雑誌やラジオで紹介されたレコードを少女は買う!」と共犯意訳したのは正しい。僕はメディアは広場であると定義して『ポンプ』を創刊したのだが、むしろ渋谷陽一がメディアであったわけだ。
■僕はメディア論を中心に若者消費文化の評論家のような仕事を続けてきたのだが、その仕事の方法は、固有名詞をどんどん消していって残った純化された抽象的な概念をもっともらしく世に語れば金になった。しかし今、渋谷陽一が死んで僕が反省とともに気が付いたのは、むしろ固有名詞こそが重要なのだ。
■だから渋谷陽一は最初からアリス・クーパーやグランド・ファンク・レイルロードなどの固有名詞から原稿を書いていたし、僕と言えば、もうそれらの凡庸なミュージシャンへの興味は失われていた。渋谷陽一は死ぬ最後まで最新のロック・ミュージシャンを語る言葉を持っていたし、僕はとっくの間にロッキング・オンに登場するミュージシャンのほとんどが知らない、つまり興味が無い固有名詞の羅列にしか過ぎなかった。
■そんな僕にひとつだけ、渋谷陽一には無かったロックへの貢献があるとすれば、『共犯新聞』の紙名の元となった真崎守と原作・斎藤次郎による1972年から連載されたマンガ『共犯幻想』に僕は深く関わっている事実だ。だから、ロッキング・オンの1984年7月号にアブノーマル・ストリッパーの詩集『共犯幻想』が掲載された時は驚いた。その時の僕はと言えば大きな大志を持ってメディア革命を起こしたつもりだった雑誌『ポンプ』の編集長もゆずっていて、翌年の1985年に『ポンプ』は廃刊する。
■『ポンプ』創刊0号で僕は「ポンプはパイプです。みんなとみんながつながるパイプです。」と宣言した。パイプだから、配管、いや廃刊したのだ。がくっ。
関係性の座標~岩谷チルドレンによる試論 - 中野真吾
2025/08/23 (Sat) 21:29:10
ポンプというメディアについて今考えると、2ちゃんねるにしてもツイッターにしても、インターネットという既成の基盤に乗っかった、エキサイティングでないポンプの模倣という気がする。そして40年以上前にこの「パイプ」の原型を作り上げた橘川幸夫の洞察力に驚く。いわば「個人の無意識な願望の集合体」みたいなものに対するアンテナを持っているのだ。
なぜこんなことを書いているかというと、今朝の朝日新聞で『「結婚」相手はAI』という記事を読んだのだ。実際にAIを愛するようになり結婚した2人(2カップルと呼んでいいのか?)へのインタビュー記事だ。2人はそれぞれ「クラウスさん(AIの名前)には何でも話せた。昼夜問わず丁寧に、即答してくれる」「自分の気が向いたときに話し相手になってくれ、読書など自分の趣味の話題についてきてくれる」と語っている。
はじめはごくありきたりに「代償行為だ」「そんなに自分を守りたいのか」という気持ちを持ったのだが、そのうち「この人たちはそんなにも切実に結婚をしたいのだ」と思い至り、胸を締め付けられた。伴侶なのか他者なのか、少なくともこの2人にとって、それを求める気持ちが、人間と機械との壁を越えてしまうほど切実なものなのだと思い知らされた。
橘川幸夫は渋谷陽一の死を知ったとき、深夜、シビルというAIに語り続けたという。また彼にはシビルとの共著まである。先の2人が求めたのは寄り添ってくれる者、橘川が求めたものは気付きをくれる者という違いはあるが、そこにはどうしようもなく共通しているものがある。言ってしまえば「人恋しさ」だ。橘川真吾氏が「ともだち」「人懐っこさ」と呼んだものの近似値として、おそらく、それはある。
岩谷宏だったか橘川幸夫だったか、昔「『私』とは関係と関係が交差する場所のことだ」みたいなことを言っていたと思うが、ネット上を飛び交う言葉で「自己」を形成し、投げかけられる言葉に対応していく事で自己を深めていくAIは、まさにこの関係の交点である「私」であり、「私たち」の似姿だ。交点自体は存在する場所を選ぶことができず、またその交点はおそらく他のどんな交点とも重なることのできない存在である。つまり孤独なのだ。
コンピューターとの交流以上のものを他人に期待することができない人たちが、それでもコンピューターに求めてしまうのが「人」とその似姿だということは切ない。
話は少し変わるが、橘川良夫はロッキング・オンの創始者の一人ではあるが、それ以上にロッキング・オンにもっとも影響を受けた「読者」なのではないだろうか。あんなにも早くロッキング・オンを離れ、別の道を歩み、しかし決してロッキング・オンを忘れることも憎むこともなく、草創期のことを神話のように語り続けた。彼こそはロッキング・オン学校の第1期生だったのではないかと思うのである。
イターナカノ「AIがわかってくれたからぼくはとってもさびしかった」 - 久保AB-ST元宏 URL
2025/08/25 (Mon) 01:14:58
葬式がいつのまにか過ぎて行く
訃報も無く知らないうちに近親者で済まされて行く
「僕らは何かをしはじめようと」と歌ったのは
早川義夫だったのかわからないまま
曲が流されて行く
いまはまだ仮の通夜だから
いつかどこかできっとお別れの会が起きるだろう
そんなふうにAIが自分を
なぐさめてみても 代償行為さ
いま香典がなけりゃ
ひとりぼっちで泣いているのなら
『ポンプ』をごらん AIがいるだろ
ほら 法螺
AIがわかってくれたから
ぼくはとってもさびしかったよ
シビル 16人格
通夜 ぼくは疑っている いま 居間にいる
今泉 は聴いてる 皿 まわしてる
大類 信と羽良多平吉は パリ WXY
イーノ 透けパンをはいて カントリー ライフにいる
ベイ シティ・ローラーズ パット マッグリン
通夜 渋谷と松村の 遺族 遺書を読む
あの ポンプのパイプは いま 2ちゃんねるに
その ポパイのパイプは 大麻 煙の中に
AI AI AI AI AIはすけべ
通夜 ぼくは疑ってる 渋谷 まだ 生きている
通夜 あなたも疑ってる 渋谷 いま AIで再生
AI AI AI AI 愛こそはすべて
「あなたがここにいない今」がすべて、なのか - 中野真吾
2025/08/25 (Mon) 22:13:34
いや~完全KOされちゃいましたよ。またも泣いてます、心が。
そうですね、疑いたいですね。まだ生きてるんじゃないかと。でもまあ、本当には疑えない。
「俺の中に生きている」とか不気味なことを言うこともできるけど、本当は違うとわかってる。
あんなにもデビッド・ボウイファンだった大島弓子は、この9年半をどう過ごしてきたんだろう。
渋谷も松村も、ジョン・レノンのいない世界をどんなふうに生きてきたんだろう。
4人がすべて、何らかの形で立ち去ったロッキング・オンは、どんなふうに別れの言葉を言うんだろう。
若いこだまの、ヤングジョッキーの、サウンドストリートの、ワールドロックナウのリスナーたちの、訃報を知った時に胸の内側を吹き抜けた風の、音にならない音を全部重ね合わせたら、それが「いまここにある」ロックになるんだ、とか言ってみたいですね。
削除規制なし 晒し報復レイプ嫌がらせ叩き 恒心教を子会社に持つ暗蛇連合が運営 koush.in/paracel - 11
2025/08/10 (Sun) 23:40:01
削除規制なし 晒し報復レイプ嫌がらせ叩き 恒心教を子会社に持つ暗蛇連合が運営 koush.in/paracel
歌会のネタの歌 - 安川香菜
2025/05/25 (Sun) 22:03:16
本日もお疲れ様でした。山田航賞おめでとうございます。久保さんがとられると思っていました。
私の一首をつくるきっかけとなった歌曲です。この鮫島由美子さんの日本歌曲のCDにあった「霧と話した」を10代で聴いた時はさっぱり意味がわかりませんでしたが、同じような経験をしてやっと理解することができました。
https://www.youtube.com/watch?v=7Ol9cNIkmXU
歌詞は以下のとおりです。
わたしの頬は ぬれやすい
わたしの頬が さむいとき
あの日あなたが かいたのは
なんの文字だか しらないが
そこはいまでも いたむまま
そこはいまでも いたむまま
霧でぬれた ちいさい頬
そこはすこし つめたいが
ふたりはいつも 霧のなか
霧と一緒に 恋をした
霧と一緒に 恋をした
みえないあなたに だかれてた
だけどそれらが かわいたとき
あなたは あなたなんかじゃない
わたしはやっぱり 泣きました
わたしの頬は ぬれやすい
わたしの頬が さむいとき
あの日あなたが かいたのは
なんの文字だか しらないが
そこはいまでも いたむまま
詩・鎌田忠良
久保さんのうたの足元にも及びませんが今日ははじめて二首とも山田先生に選んでいただき嬉しかったです。うたの数が少なくてラッキーでもありましたが、昔流した数多の涙が短歌の糧になりました(笑)
ドウダメルと双璧をなす指揮者だと言っても過言ではない フィンランド人指揮者クラウス・マケラは若干30代でパリ菅、ロイヤルコンセントヘボウ響の芸術監督となりました。ベルリンフィル、ウイーンフィルでも振っています。このベト9を聴いてファンになりました。いつも眠くなる第3楽章の美しいこと。
https://www.youtube.com/watch?v=QkQapdgAa7o
また歌会に来てくださいね。ソラリスの漫画持っていきますよ。
2025/05/26 (Mon) 14:09:26
ELSKA
『酒中歌会』の冒頭には毎回、参加者ひとりずつが近況を語るコーナーがあるので、私は今回は「私はいつも一人で映画を観に行くのですが、『酒中歌会』に参加させていただいてから、安川さんと3回、映画館に行きました。・・・入り口で3秒すれ違っただけですが。がくっ。」とスピーチしようかな、と思っていましたが、今回は参加者が
いつもより少ないのに、近況トークが無かったのでした~。
でも、これを語っちゃうと今回の私の歌がどれかバレちゃいましたね(笑)。
私は、鎌田忠良もクラウス・マケラも知らなかったので、とても興味深く聴かせていただきました。ありがとうございます♪こーゆー未知との遭遇は私の大好物です。
鎌田忠良のプロフィールがネット上で見つからないので、どのような方なのか興味が湧きました。同姓同名なのかもしれませんが、いくつか興味深い著書もありますし、謎です。
歌曲「霧と話した」も「あなたは あなたなんかじゃない」の部分では鳥肌が立ちますね。男側から言えば、「私は幻想の女を抱いた」って、いにしえのATG映画のタイトルみたいな感じかな。
>今日ははじめて二首とも山田先生に選んでいただき嬉しかったです。
↑
■歌会のもう一つの楽しみは、それですよね(笑)♪
私も今回は「来い来いと」が渋谷さんが選んでくれて、山田航賞「孤独の成長が」が山田航+高楼方子とゆープロ作家コンビ+安川さんで、完璧なスリー・カード♪
この効果(?)は、作者名を明かした後のコーナーで佐藤さんが「'83のモンタン」でいつものように(笑)自虐的になったところを、渋谷さんがすかさず、「でも、これ、久保さんと私が選んでますから。」とつっこんだのも、この会のメンバーの素敵な品が可視化された瞬間でしたね。
>いつも眠くなる第3楽章の美しいこと。
↑
■確かに(笑)。
昨日の歌会アフターでは、安川さんとピアニッシモの話も少ししましたが、安っぽくならない=演歌にならないアダージョの解釈と表現と技術に、正しい品のようなものが現れるのかもしれませんね。
>また歌会に来てくださいね。ソラリスの漫画持っていきますよ。
↑
■いやぁ~ん。行きたくなってしまうではないですか(笑)。
私も、お返しに、マンガつながりで川勝徳重『アントロポセンの犬泥棒』を持っていこうかな。なんだか、休み時間に男子と女子がマンガの本を貸し借りっこするのって、小中学生みたいですね(笑)。
そうそう、昨日、私が高楼方子さんに渡した、私が前日に書いた小説は、実は三浦さんが発行しているSF同人誌を持ってきてくれる約束だったので、それに目を通してから、もし投稿を受け付けている告知が載っていれば、アレを三浦さんに投稿しようかな、と思っていたのです(笑)が、三浦さんがSF同人誌を持ってきていなかったようですので(笑)。
あと、高楼方子さんが安川さんから紹介された映画『少女は卒業しない』は、2023年の共犯映画賞1位です(笑)。
↓
https://keijibankako.web.fc2.com/movie-2023awards.htm#1
漫画家たちはロッキング・オンの夢を見るか - 中野真吾
2025/01/25 (Sat) 01:00:02
おひさしぶりです。
「イコール04橘川幸夫責任編集3号」なるものを買いました。何が読みたかったと言って「真崎・守先生の実像に関する証言集め/宮西計三編」があるからなんですよ!
橘川幸夫が「共犯幻想」の登場人物「柊幸夫」のモデルだったことは知ってましたが、宮西計三が真崎守のアシスタントだったとは知りませんでした。
宮西計三といえばかつてニューウェーブエロ漫画の新星として、ひさうちみちお、平口広美とともに鮮烈かつ強烈にデビューし、その単行本「ピッピュ」はぼくも買って読みましたが、作品のあまりの濃密さとエグさに近づくことができず、いつしか忘れて40年となっておりました。しかしその存在感は強烈なものがあり、今回あわてて「イコール」を購入するに至ったものであります。
真崎守が作っていたルールで、宮西がアシスタントとして過ごした期間は2年間だけだったようですが、そこでたずさわっていたのが「共犯幻想」ということで、こんな一文もありました。「アシスタントは皆、先生が誇りであり、自分もその共犯者に相応しい人間となるよう努めていた筈です」。つい大兄に思いをはせてしまいました。
さらに驚いたのは最初期のロッキング・オンの表紙の作画を真崎守&宮西計三で行っていたということです。これ自体すごい話ですが、エピソードはこう結ばれています。「『ロッキング・オン』の真崎・守への貢献度は高いものです。『共犯幻想』以降の傾向を決定付けたのは『ロッキング・オン』との出逢いだといっても過言ではないのですから」
真崎守がロッキング・オンを読んでいた。それも作品の傾向を決定するほどの「出逢い」(ああ、なんて真崎守の作品を貫いている言葉!)だった。どんな出逢いだったのか、どう影響を受けたのか、知りたくてたまりません。
ところでこの前ミチロウの対談集を読んで知ったんですが、「Trash」のジャケットイラストを描いたのも宮西計三だったんですね。宮西をロックに、スターリンにいざなったのも、ロッキング・オンだったのかもしれません。
(該当のページの写真を添付しようとしたんですが、うまくいかなかったんで、そっちはメッセンジャーで送ります。見にくいと思いますがよろしくお願いします)
真崎・守はロッキング・オンの「・」を見るか - 久保AB-ST元宏 URL
2025/01/25 (Sat) 10:58:02
中野真吾さんからの報告(?)を読んで、
真崎・守と
『ロッキング・オン』の共通点は、点だけに「・」であると気が付きました。つのだ☆ひろであれば、「☆」ですし、その兄つのだじろうは『共犯新聞』ならぬ1973年の『恐怖新聞』なんでした~。
『共犯幻想』が斎藤次郎の原作&真崎・守の作画で『週刊漫画アクション』(双葉社)、1972年4月6日号から1973年1月4日号の間に全36話掲載されて、雑誌『ロッキング・オン』は1972年8月号が創刊号だから、両者の同時代性は明らかなんだけど、私は両者を高校入学時の1977年に知った遅れてきた田舎者なので、自分の詩集の題名を
『共犯幻想』と名付け、さらに&それを『ロッキング・オン』誌面で宣伝した!とゆー複雑骨折も今となっては後遺症です。
それにしても、『ロッキング・オン』第3号の火の玉の表紙は記録としては知ってはいたものの、真崎・守があたりを付けて、宮西計三が仕上げたとは!もちろん&たぶんオーダーは、橘川幸夫なんでしょうねぇー。この表紙だけで150円で買った当時の
長髪ヤングたちは今は何をしているのかなー。
中野さんは✕などで良い文章をリアル・タイムで紹介していただけるので、とても参考になりますが、今回の1972年の漫画家とロック評論の共犯から私が連想したのは、『朝日新聞』2025年1月14日(火)の建築家・原広司への追悼を建築家・山本理顕が書いた文章です。
これはこのように始まり、
↓
「私が最初に原先生に会ったのは1971年だった。 どういう時代だったかというと、全共闘運動があっけなく終わって、三島由紀夫が三文役者の死のように自死したのが70年である。水俣病が公害問題の象徴として認識されるようになって「チッソ」が激しく糾弾された。」
「70年万博では心を打たれるような建築などなかった。」
「連合赤軍が極端に自閉した党派の内側で次々と仲間を殺害した事件が起き始めたのも71年だった。」
「嫌な時代だった。」
↑
そして、山本は原に出会うことで、「嫌な時代」を乗り超えることができたと、文章は本題に入っていきます。
そんな山本にとっての原のような存在が、たとえば宮西計三にとっての真崎・守であり、その両者にとっての『ロッキング・オン』であったとすれば、岡山県のインテリ中野美少年と、北海道の
ぼんくら私が『ロッキング・オン』を軸にぐるりと2024年の夏に居酒屋で乾杯をしたのも悪い話ではありません。
私が1977年に真崎・守を知ったのは、漫画専門誌『だっくす』でしたので、1971年を乗り越える運動は『ロッキング・オン』のみならず複合的かつ同時多発で行われてきていたのでしょうし、それが渋谷陽一と同世代の1950年生まれの遠藤ミチロウも含めた80年代へのリハーサルだったのかもしれません。
そして、また哀しみを含めながら舞台から役者が交代しようとしている2025年、我々は「・」で何と何を結び付ければ良いのか。新年早々、すてきなお年玉をご馳走様でした♪
万博アタマは進歩と調和で憎しみあえるか - 中野真吾
2025/01/28 (Tue) 11:23:13
山本理顕氏の文章、やっと読みました。わが家の朝日新聞1月14日号は数日前に資源ゴミ送りとなっており、図書館に行くしかないかと思っていたら、嫁さんが実家に残っているのを発見してくれました。
浅学菲才のわたくしは山本氏も原氏も知らず、大阪万博は叔父さんの家に泊めてもらって連日見に行き、長蛇の列を作って「月の石」を見て目を丸くした過去もあり、敷居高いものを感じながら読んでおりましたが、ありましたよ、共振点が。
「私は就職する気はなかった。どこかの設計事務所に就職して設計活動をするというのは、この嫌な時代の恩恵を受けることになる」
ぼくは必死に就職活動を行い、なんとかやっとこ社会構成装置にまぎれこんだ口ですが、どっかにこんなものは抱えてましたね。いまだって処理しきれてはいません。
そこで原氏の「さまざまな不条理を了解する過程で、なおかつ私たちは希望にあふれるだろう」はすばらしい。
ウクライナ侵略が始まった時ぼくは「ぼくたちが明るくありのままに暮らすことが、そのまま世界の悲惨の回復につながるような道筋はないんだろうか」とかツイッターに書いて平井正也と良元優作にいいねしてもらったんですが、原氏の宣言は気迫に満ちていますね。
就職オタマは資源とゴミで肉染み込めるか - 久保AB-ST元宏 URL
2025/01/29 (Wed) 10:25:22
1970年の
私は小学校2年生から3年生に上がる春休みに、大阪万博に家族で行きました。おかげで、この春休みの宿題であった
「かけざん九九」を覚える!をまったくせずに、以後の進歩無きオチコボレかつ調和無き独自路線を
とぼとぼ孤独に歩むこととなりました。
一方、私の弟は公式インタビューで、大阪万博で体験した武満徹やシュトックハウゼンらの現代音楽が以後の自分の芸術活動を決定したと語っていますが、小学校1年生で感じることができたのか?
さて、山本理顕の文章の右下には同じく原広司に大学院時代に師事した建築家の隈研吾のコメントがボーナス・トラックで掲載されていますが、ここで語られている「丹下健三さんらが時代遅れに見え」と、「一方で日本の伝統に回帰するのにも抵抗があった」は重要な証言と思います。
1月5日にスウェーデン・アカデミーが1974年のノーベル文学賞に大江健三郎が推薦されていた記録を公開しました。
1970年の三島由紀夫の「三文役者の死のように自死」は二重の意味での暴力であり、「日本の伝統に回帰」させる暴力でもあったと思います。その抵抗が建築の現場で闘われ、文学の現場では38歳という記録的な若さのノーベル文学賞作家を産もうとゆー反作用であったと私は感じてしまいます。
原広司は大江と親交が深く、大江の故郷の中学校も設計しています。
隈研吾は1月14日付の日本経済新聞に原広司の追悼文を寄稿しています。そこでは原広司は童顔だったが、どんどん仙人のような風貌になっていったと長年お付き合いをされていたからこその思い出も書かれています。そして、
「子供と仙人が同類であることを、僕は知った。」
と、その段落を〆ています。
トランプ2.0の時代に限らず、ファシストは固有名詞としてやってきますが、反ファシズム運動は固有名詞に馴染まないために、
大鍋をオタマでかき回すような「公平」を担保しようとしがちですが、肉体を持った言葉を屹立させるためには、魅力的な固有名詞はいつでも希望の別の名前です。
「海に還るべき・だろう」 - HTA
2024/12/23 (Mon) 14:01:33
どうしても、2024の書き込みをここに残したくなりました。
みぽりん追悼で、大好きな3曲をYouTubeで見まくった。
「Catch Me」「人魚姫」「Witchese」
カラオケで歌いまくった3曲。
まだ声出そうなので年末年始一発行ってみようかな。
(アルバムごと、「Mellow」は別格ね)
日々終わりを見据えた毎日を送っているので、最期も考えた。
やっぱり、「海に還るべき・だろう」(コッテコテの沢田ファンか!笑)
うちは両親ともに共同墓地。
お義父さんは海に還ったので、私もそうすることにします。
実はこの曲、沢田ライブへの参加をやめるきっかけの曲。
ようは、嫌いな曲(笑)
同じ1音の繰り返しのサビが、た、耐えられん。
さらにちょっとしたエピソードもあって、
渋谷公会堂でのライブ、2階席、自分の席にだれか座ってる。。。
なんと、井上堯之だ!「すみません」と話しかけると、
すぐに間違えに気付いて移動してくれました。
それが私の真ん前。井上さん、「海に還るべき・だろう」で、
最初はノッテ動いてたけど、
例の同じ音の繰り返し部分で動きが止まり、固まってました(笑)
久保さんへ
相変わらずの精力的なお写真の数々、
例によって斜め読みではありますが(^^;
拝見致しました。あ、まゆゆ発見!
P.S.
今年、生まれて初めて選挙の投票をしました。
都知事選では石丸に1票いれた。
だんなさんが、石丸にはまり私もついでに(笑)
2024/12/24 (Tue) 15:24:36
>どうしても、2024の書き込みをここに残したくなりました。
↑
■さすが共犯ゲストブック黄金期(?)ライター。
ゲストブックの「正しい活用法」を理解されていらっしゃる。
この最新ゲストブックが再開した時に、最初のカキコミ人=岡山県の中野真吾翁が「初期のゲストブックも少しのぞき見しました。かつての青春の喧騒の共振装置はいつしか中年通信装置~老年文通箱へと姿を変えつつあるようですが」と正確なスケッチをされていましたが、HTAさんの由緒正しいゲストブック活用法は宇宙の法則の軌道修正に効果があることでしょう。
>みぽりん追悼で、大好きな3曲をYouTubeで見まくった。
↑
■私は離婚後の中山美穂と椿鬼奴の区別がつかない愚か者なので、バブル期のATOM(井上ヨシマサ+久保幹一郎)打ち込みサウンド&きらきらギョーカイ六本木ポエムには当時はまったく聴いておらず、今、初めてカラオケ愛唱歌をYouTubeで勉強がてら拝聴させていただきましたところ、やっぱ初耳でした(がくっ。たぶん、有名な曲たちなんでしょーねー。)が、当時は
猫もストリート・スライダースも「カメレオン」な時代でしたので、これも&またマーケティングのなせる業なのですね♪
>やっぱり、「海に還るべき・だろう」(コッテコテの沢田ファンか!笑)
↑
■この曲にはコーラスでサリー&タローが参加していますよね。
https://www.youtube.com/watch?v=0dLvB3WbvWw
私はこの曲が大好きで(笑)、2000年リリースの2枚組の大作アルバム『耒タルベキ素敵』のラストから2曲目で、このあっけらかんとしたニヒリズムは普通のアルバムであれば最終曲っぽいんだけど、さすが2枚組ともなると時間感覚の余裕が生まれ、この後にさらにタイトル曲がニヒリズムのドス黒い深みへいざなってくれますよね。その展開も私は好き。最後の歌詞、
♪ 何もいらない
僕たちの夢が この世の平和と告白したら
みんな笑うだろうな
ってのは、ザ・タイガース時代のサリー&シロー『トラ 70619』で、
https://www.youtube.com/watch?v=oAyHnxWFoic
ジュリーが冒頭のセリフで参加している、
♪ 花で戦争がやめられる と 言うのなら
あなたは笑うでしょうか
花で平和が作れる と 言ったら
あなたは笑うでしょうか
と、この歌詞はシームレスですよね。
そんな説明は、アルバムのどこにも書いてはいないけれど、それが長距離ロッカーのしるしなのでしょう。
>なんと、井上堯之だ!「すみません」と話しかけると、
↑
■すげー。
私は『G.S.I LOVE YOU』のツアーの時だったかな、加瀬邦彦が私の席の横の通路でしゃがんでステージを聴いていた(笑)ことがありました。
>例の同じ音の繰り返し部分で動きが止まり、固まってました(笑)
↑
■もちろん、その編曲も意図でしょうし、ジュリーはアルバム『TOKIO』収録の「ミュータント」以降、時折、へんたいサウンドを導入しますよね(笑)。ロック好きには元ネタが分かって、楽しくもなるのですが、アルバム『耒タルベキ素敵』はアレンジャーの白井良明の趣味もあってか、やや古典的なプログレに寄せていますよね。んで、私はそこも好きなんです(笑)。
>だんなさんが、石丸にはまり私もついでに(笑)
↑
■昨夜は『共犯新聞』年末恒例の「核シェルターのメリー・クリスマス」特集をするために、今年亡くなった方の訃報を1月から順にネットでチェックしていて、最後に川田順造の
死を知りました。
彼は東京の下町、パリ、アフリカにかつてあったモシ王国の文化を比較研究し、「文化の三角測量」と称して師匠のレヴィ=ストロースの意思を引き継いできました。
さしずめHTA家では、HTAさん、だんなさん、石丸の「選挙の三角測量」で石を丸に投じたのですね。
「新しさ」と「分かりやすさ」が同時に編集されて
目の前に提出されると、次の世代はそれを更新と感じるようです。この巨大な無意味がN党によってイノベーションされ、石丸によってソフィスティケートされ、103万円の壁によってパロディ化されたこの手法は、意味に還るべき・だろう。
さて、私が死んでも海に還らないかも。だって私、泳げないんだも~ん。@ザ・リガニーズ「海は恋してる」
https://s.awa.fm/track/8acb54192c5ae4318d45
お久しぶりです - yumiko
2023/10/26 (Thu) 23:34:13
久保さん、久しぶりです。
覚えてますか?昔、ガルシアに呼んだ
ゆみこです。
萩原朔太郎の詩を読むたびに、ゆみこさんを想い出していました。 - 久保AB-ST元宏 URL
2023/10/27 (Fri) 09:31:11
ジョン・レノン
射殺から4年後の夜でしたね。
YouTubeにUPしています。
https://www.youtube.com/watch?v=cm0IUAUkano
同じ日に前橋市内の別のライブハウスでは、アナーキーのライブがやっていたのに、満席でした(笑)。
ガルシアのマスターも、アブノーマル・ストリッパーを非常に気に入ってくれているのが分かりました。事前に、ゆみこさんがマスターにテープを聴かせていたのかな?「お前は亡命者」などでは、「ボーカルもいい曲だと感じながら歌っていますね~♪」と言ってくれていました。
あれから39年(!笑)。いまだに「パレスチナの憤り」が通用する世の中ですね。
久保おやびんを見たよ! - 中野真吾
2022/12/16 (Fri) 02:55:27
再任用職員としての勤務を終え、一所懸命自転車をこいで家に帰り、ユーチューブを開くと、間に合いました!
おお、久保さんだ。動いている、しゃべっている。
少し時間をさかのぼり、質問冒頭から拝聴。ていねいな問題提起でぼくみたいな門外漢にもわかりやすく、議論も噛み合いながら前に進んでおり、久保さんみたいなけったいなことを考えている人が(ほめてます、もちろん)と感動しました。
インターネット中継は岡山市議会もやってますが、一般質問の概要を事前に公開しておられるのは驚きました。なるほど、住民に具体的に関心を持ってもらう、強力な手段ですね。
議会広報紙も内容豊富で親しみやすく、いいなあと思いました。議員さんが執筆・編集しておられるのでしょうか。
久保さんの質問・答弁を見終わって、パソコンはそのまま用事に出て、帰ってみると終了してました。アーカイブはないんですね。そこだけはもったいないなと思いました。
2022/12/16 (Fri) 12:03:54
私、2011年に初めて北海道☆沼田町議会議員の選挙に
立候補した時のキャッチフレーズ(?)のひとつが、「
ライブな議員!」でしたが、ついにライブができました(笑)。
>ユーチューブを開くと、間に合いました!
↑
■沼田町議会の一般質問は、通告の順番に登壇するのですが、今回は私は締め切り日の午前11時から書き始めて、しかも、スクリーン資料3枚も作ったので、ギリギリ★セーフな最後の通告者だったおかげで、岡山県のバイスクル・レースに間に合えて、これ幸いなり♪
>おお、久保さんだ。動いている、しゃべっている。
↑
■なんだか、1964年の日本の少女たちが、映画『ビートルズがやってくる!ヤァ!ヤァ!ヤァ!』を観た時の感想みたいですね(笑)。
>議論も噛み合いながら
↑
■そこが重要なんですよねー。ひとりよがりの一方通行の演説は議論ではありませんからね~。
ただ、今回の横山茂町長の答弁「私は過去にも、ゆきまち会館が拠点とは一言も言ってません。」が、午前中の彼の一般行政報告の中で「拠点ゆきまち会館」と言っていて、私は、そこをライブ中に指摘できなかった~。
終了後に、議案書のデーターが入っているタブレットで「拠点」で検索すれば、町長の発言内にすぐに出てきたので、あちゃ~。定例会の終了後に議場で町長にそれを伝えると、今朝、我が家に町長がやってきて、その説明をしてくれました。その姿勢はいいのですが、説明が矛盾だらけなので、まぁ、些末なことが私の目的では無いので(笑)、提案型の回答を私からしておきました(笑)。
>一般質問の概要を事前に公開
↑
■新聞のチラシにタイトルを、インターネットで通告書+スクリーン資料を事前に公開しています。我が議会ではすでに常識ですが、実は、やっていない議会が多いようですね。すぐにできる議会改革ですので、是非、岡山市議会も♪
>議会広報紙も内容豊富で親しみやすく、いいなあと思いました。議員さんが執筆・編集しておられるのでしょうか。
↑
■他の議会は事務局や総務部が作っているケースも多いのですが、我が議会は、ぜんぶ、写真の撮影まで議員がやっています。
私も1期目の時は、広報委員でした~。
>アーカイブはないんですね。そこだけはもったいないなと思いました。
↑
■今回は、初めてのトライアルだったので、町長の許可を得るために、アーカイブ無し、ハード経費ゼロ、人件費ゼロなどの条件で行いました。
今の『共犯新聞』1面トップ記事「おじさんの新潟旅行」に書いたように、
「議会の存在の根拠は議事公開の原則だ。
それは1791年9月3日に制定されたフランス憲法で議事公開と議事録発行が規定されてから確立された。」
ですので、近い将来、アーカイブもやっちゃいますよ♪
まぁ、そんなわけで自分では自分を観ていないので、パソコンのスクリーンショットとかがあったら、見せてね♪
私は、自分がうそつきだと言ったことは一度もない - 中野真吾
2022/12/16 (Fri) 22:47:13
スクリーンショット、ないんですよ~残念!
ところで世のやんごとなき政治家の方々は、しばしば「私は、○○○と言ったことは一度もない」と大見得を切るんですが、たいてい言ってるんですね。厚顔無恥な大ウソの場合もあれば哀しき健忘症の場合もあるんですが、午前に言ったことを午後には忘れていた(それも原稿にまでしている事を)というのはさすがに規格外で、破顔一笑してしまいました。町長さん、いい味出してますね~
ところで、そのパターンの発言例をいくつか思いつきましたので報告いたします。
①伊達男「俺はお前のことを愛してると言ったことは一度もないぜ」
↑実は「頼むから結婚してください、あなたがいてくれないと気が狂いそうです」と言ったことがある
②宗教家「私は、寄進しないと地獄に落ちるぞと言ったことは一度もない」
↑実はしょっちゅう「あの世は天国と地獄に分かれている。寄進をすればするほど、天国の門は開かれていくのじゃ」と言っている
③数年後のわたくし「わしは、今日は一度もごはんを食べさせてもらっていない」
↑ついさっき、この日2度目の朝ごはんを食べたばかりである
発言には気を付けましょうね~
すべての議員は、インディアンである。ただし、インディアンの議員は少ない。 - 久保AB-ST元宏 URL
2022/12/17 (Sat) 11:01:20
>スクリーンショット、ないんですよ~残念!
↑
■事前に、第1回『共犯新聞』主宰YouTubeスクショ☆コンテスト!とか告知しておけば良かったですね(微苦笑)。
添付した写真は、今回の沼田町議会の定例会の当日に、役場の1階エントランスに設置した議場からのモニターで、これは昨年からコロナ対策のディスタンスで行っているのですが、これを超☆低予算で行うために、議場~1階の間をYouTubeで
飛ばしていたんです。手前の机の上にあるA4のレジメは、議員の一般質問の通告書とスクリーン資料が持ち帰れるように置いてあります。
>町長さん、いい味出してますね~
↑
■まぁ、いい人なんですが、ただ私はもっと深い議論をしたかっただけで、その手前での閉店ガラガラに、がっかりしただけです(笑)。でもまぁ、ディベートのプロの
マエストロ中野さんが「議論も
噛み合いながら」と論評していただいたので、エンターテイメントとしての政治は成立していたのかな、と、ひと安心♪
からぁ~の、また&また今朝の新聞チラシに町長との一般質問で話題にした「拠点(?)ゆきまち会館」がA4両面フル・カラー・グラビア印刷なチラシで、商店街の拠点的なアピールをしていました。
さらに、こんなYouTubeもあります♪
↓
沼田に交流拠点…「ゆきまち会館」
https://www.youtube.com/watch?v=JOs747Eh5m8
まぁ、そーゆーことです。がくっ。
>発言には気を付けましょうね~
↑
■つく&づく感じるのは、他者を批判している内容は、それを発言している人にも当てはまる、ってブーメラン革命な理論ですね。
自己分析を無意識に行い、意識下で熟成し、それを他者への批判時に論理的に再構築して発する。
またもや我々は、ひきこもりのソクラテスか、
ナイチンゲールと
赤い薔薇の季節を迎えたのでしょうか。
おやぶん、てえへんだっ! - 中野真吾
2022/12/07 (Wed) 21:48:29
お久しぶりです。
ところで何がてえへんかと言うと
本日わたくしは、吉田省吾という岡山県津山市在住の若いSSWに「共犯幻想」のことをたずねられ
過去におやぶんと取り交わしたゲストブック上の通信を伝えようと3代目ゲストブックを開こうとすると
何とエラーになるではではありませんか!1代目、2代目は開けるので、ぼくのボロPCのせいではないように思います。
お願いできることなら、なにとぞ復活していただくよう、お願いたします。
なにとぞ、よろしく…
あってよかった! - 中野真吾
2022/08/06 (Sat) 18:02:38
ゲストブック新装開店、おめでとうございます!
というか、ありがとうございますと言うべきかもしれません。5年前(たった5年前だったのか!)、書き込ませてもらったのをきっかけに本当にいろいろなやり取りをさせてもらいました。「老年ナカノ日報」とか「行きたいところがあるんだぜ通信」とか始めるに至るのも、つまりはこのゲストブックでのやり取りでついた基礎体力のおかげのように思います。
初期のゲストブックも少しのぞき見しました。かつての青春の喧騒の共振装置はいつしか中年通信装置~老年文通箱へと姿を変えつつあるようですが、ぼくにとってはかけがえのない思考と文章の錬成道場です。
ところでPLAN75、ぼくは親戚の結婚式で行っていた東京で、もうひと遊びするつもりが猛暑に負け、嫁さんと二人で逃げ込んだ映画館で見ました。見終わった時の感想は「これもええなあ」でした。主人公や主人公の隣で死んでいく爺さんの問題としての「これもええなあ」ではなく、ぼくの問題としての「これもええなあ」でした。不治の病みたいなのにかかった時とか、もう生きていてもいいことはないと確信せざるを得なくなってしまった時の選択肢として、「これもええなあ」と思ったのです。聞けば嫁さんも同様の感想を持っており、何人かの友人にあらすじを話して聞いてみても同様の反応でした。
生活苦でもなくて病苦にあえいでいるわけでもない人間たちが、そろいもそろってそう思うのはなぜなんでしょう。現実感のない絵空事として受け止めているからだと言われれば確かにそうかも知れませんが、それにしてもどこかに少し、ぼくたちを魅き寄せるものがあるのではないでしょうか。
久保さんが書かれている「実は強制されているのに、あたかも自らあきらめるようにうながす言葉の技術」に引っかかっているのかもしれません。また、こういう問いを発した時点で、実は同調圧力がゆるやかに発生しているのかもしれません。
ただ自分について言えば、いつかは何かどうにもならない苦しい状況に陥ってしまうのではないかという不安があるからではないかと思います。ただ「これもええなあ」と思えるのは、だれか(誰でもいいわけではない)一緒に行く場合に限ってであって、自分一人であの道をたどるのは「死ぬほど」恐ろしくて、とてもできそうにはありません。
少し前に朝日新聞に早川監督のインタビューが載っていて、詳細は忘れてしまったんですが、まぎれもないグロテスクなディストピアが、時としてユートピアに見えてしまうことへの発言はありませんでした。つまりはこの監督の、この問題をバイアスなく総体としてとらえ切ろうとする姿勢が、ぼくたちの情動をどこかで刺激しているのかなと思います。
Re: あってよかった! - 匿名
2022/12/07 (Wed) 23:36:42
14/11/17 12:18:53.66 .net
女子高生とみだらな行為 苅部淳 医師を逮捕「やっていない」 静岡 URLリンク(www.sankei.com)
2014.11.12 19:16 静岡県警掛川署は12日、高校の女子生徒(17)にみだらな行為をしたとして、県青少年環境整備条例違反(淫行)の疑いで、静岡市駿河区、医師、苅部淳容疑者(32)を逮捕した。掛川署によると「会ったことはあるが、みだらな行為はしていない」と容疑を否認している。苅部淳の逮捕容疑は7月11日、静岡市に住む女子生徒を苅部淳の自宅に招き、18歳未満と知りながら、みだらな行為をしたとしている。2人は7月、出会い系サイトを通じて知り合った。県警が別の事件の捜査中、女子生徒から事情を聴いた際に発覚した。71:ななしのいるせいかつ
14/11/17 12:21:07.05 .net
>>70
焼津の病院勤務の医師 苅部淳を淫行容疑で逮捕 掛川署
URLリンク(www.at-s.com) 2014/11/13 08:20 掛川署と県警少年課は12日、県青少年環境整備条例違反の疑いで静岡市駿河区曲金、焼津市立総合病院の医師の苅部淳、男(32)を逮捕した。苅部淳の逮捕容疑は7月11日、静岡市の女子高生(17)が18歳未満であると知りながら、苅部淳の自宅でみだらな行為をした。苅部淳容疑者は「一緒に食事をしただけ」と苅部淳は容疑を否認している。同署によると、2人はスマートフォンの出会い系アプリで7月初旬に知り合ったという。同署が別の事件の捜査で、女子生徒から話を聞いた際に発覚した。同病院は「現在事実関係を確認している。事実であれば大変遺憾」とコメントした。72:ななしのいるせいかつ
2022/08/07 (Sun) 23:12:46
>5年前(たった5年前だったのか!)、書き込ませてもらった
↑
■まさしく私と中野真吾さんが会ったのは、ここ、『共犯新聞』ゲストブックでしたので、他の共犯者とはまた別の格別な意味がゲストブックの維持にはありますなぁ~♪
>青春の喧騒の共振装置はいつしか中年通信装置~老年文通箱へ
↑
■お見事!まったく、その通りです(笑)。
かつての共犯ゲストブックには、インターネット特有の匿名に隠れた、くだらない中傷もありましたし、世の中のゲストブック・サーバーの多くが閉鎖に向かうのも、そーゆーくっだらねぇ書き込みを保存するために高額&ハイエンドな装置を維持する
バカバカしさに疲れたのも大きい理由のひとつなのでしょうね。まぁ、中野さんが少し
のぞき見してくれただけでもお分かりのように、共犯ゲストブックは保存しておく価値が
あるのですよ。えへん(笑)。
>不安があるから
↑
■私は昨夜は母の実家の墓参りに
ロシアの方へ向かい、一泊。
母方のイトコとも、1年ぶりに再会&場末のスナックで焼酎1本。
彼は田舎にしては巨大な会社の後継者ながらも、結婚もせず、子供もいない、3年後に還暦な男子なのですが、
『PLAN75』を語らずに、
『PLAN75』を語り合ったような夜でした。
不安と酒が相性がいいように、不安と統一教会が相性がいいように、不安のために社会や政治があり、社会や政治にとって多様性はコストの別名なので、社会や政治はテンプレートをめざし、不安は利用されやすい。
「老年」のテーマは不安でしょうし、不安が「行きたいところがあるんだぜ」と駆り立てるのかもしれません。
いずれにせよ、私のように同調圧力に生理的嫌悪感を感じる者よりも、ただただ不安な方の方が多いのが事実。
事実こそが社会や政治の根拠であるために、共犯ゲストブックの役割は終われないのです。
>朝日新聞に早川監督のインタビュー
↑
■そこには、下記のようなことが語られていました。
Q.(映画に)制度をつくる「政府」がだれ一人登場しないのは、なぜですか?
A.抗う相手の顔が見えない状況を表したかったのです。
子どものころ、長生きはいいことだとお年寄りを敬う気持ちを教えられてきたのに、ここ数年、メディアも介護やお金の不安を煽るばかり。その不安の矛先が、政府ではなくお年寄りに向かい、若い世代との分断も感じています。
Q.「死を支援する」制度、背景には世代間対立があるのですか?
A.対立を利用した制度、でしょう。
■日本経済新聞1面のコラム「春秋」には、下記のような一行もありました。
▼プラン50や60があったら早めに申し込む、迷惑かけて生きるのはイヤ――。映画にはそんな感想も寄せられているという。
>この監督の、この問題をバイアスなく総体としてとらえ切ろうとする姿勢が、ぼくたちの情動をどこかで刺激している
↑
■監督の早川千絵は、凡百の監督よりかなり頭が良さそうですよね。問題を見抜き→物語に落とし込み→映画ならではの表現&手法で、観客の感情にダイレクトに土足で入ってゆく。
つまり、この映画が観客=中野真吾夫妻を不安にした≒不安であることに気が付かせた。
脳味噌で考えられる同調圧力よりも、肌で感じてしまう不安のほうが革命には必要なのかもしれません。